Mizoreのブログ

網膜色素変性症と向き合う日々を記録していきます

視覚障害=全盲のイメージを変えたい

過去の記事で私は白杖を使っていることを書きました。

ただし、一部の場所では白杖を出さないようにしています。駅のホーム、電車・バス内です。

きっかけは知らない人に怒鳴られたことです。ある日、通勤中に電車遅延があり、職場までの到着時間を確認しようとスマホを取り出しました。すると突然、近くにいた人に「目が見えるくせに白杖を持つな」と怒鳴られてしまいました。しばらく怒りながら何か言ってましたが、突然のことでびっくりして頭が真っ白になり何も言えませんでした。

白杖の役割は「視覚障害だと周囲に知らせる」「歩行時の路面の状況を確認し、障害物などの危険から身を守ること」だと思っています。視覚障害について知らない方の一部は「視覚障害=全盲」というイメージを持たれているように感じます。

私は視覚障害者ですが、全盲ではありません。しかし、そんな話を真面目に聞いてくれる人はほとんどいませんでした。毎日通勤ラッシュの混雑と仕事のストレスが多いとイライラしやすいのかなと思います。そう思うようになってからは駅員さんの近くで電車を待つようにして何かあっても大丈夫なようにしています。

世の中の人がもう少し障害に限らず、多くのことに理解ある寛容な考え方を持ってもらえるようになってもらえることを願うばかりです。

それではまた。

 

雨と日差し対策

もう梅雨の時期ですね。

金曜日あたりは警戒レベルが高い地域もあったので心配です。私の住んでる地域は警戒レベル3くらいでした。

私は雨の日は苦手です。空に雲がかかると視界が悪くなるからです。白っぽい空は眩しく感じるけど、サングラスをすると視界が暗くなってしまうので色味の調整が難しいです。夜は車のライトがいつも以上に眩しくて思わず立ち止まらないといけないので歩くのが大変です。雨の日はレインコートは暑いし、電車に乗る時などにしまったりする面倒さから傘を使っています。ただ、白杖も持っているので両手が塞がってしまって万が一転倒しそうになった時は危ないかなと思っています。

手持ちのサングラスはレンズの色が濃いめの黒なので、雨の日用にもう少し薄い色のサングラスを購入することを考えています。遮光眼鏡を作成依頼中でできるまでは裸眼で生活しないといけないので何かと不便ですが、今しばらくの辛抱だと頑張っています。遮光眼鏡のレンズ色は薄い黒にしてあるのですが、外出時の眩しさ軽減には少し心許ないと思っています。最近はいろんなサイズ、形のオーバーサングラスがあるのでうまく活用できたらと思っています。夏になった時の日差しの強さでよく目の奥に痛みが出るなど不調が出やすいので対策はしっかりしておかないといけないですね。

夏の日差し対策でおすすめの方法が是非コメントをいただけると嬉しいです。自分だけで考えるとあまり思い浮かばないので、こういった場も活用していきたいと思います。今はブログを書いていますが、Webサイトの勉強をして情報交換できる環境を整えたいと思っています。いつになるかは分かりませんが、いろんな繋がりができると思いますので、もしよかったら参加してもらえると嬉しいです。

コロナ自粛がなくなったので、今年の夏は各地で祭り花火大会、音楽フェスなど、夏イベントはより一層の賑わいになるのでしょう。人通りが多くなるはずなので、外出時はしっかり安全対策をして夏を楽しみたいと思います。

それではまた。

診断後の就職体験談

今回は「診断後の就活体験談」について書いていこうと思います。

今から約10年近く前の話になります。

その前に少し大学時代のアルバイト話をさせてください。


私はスーパーで商品の品出しのアルバイトをしていました。

当時の私は「品出し=接客しない」というイメージから安易な気持ちで応募しました。

元々人と話すことが得意ではなかったので、丁度いいかなと思いました。

実際はそんなことはなかったです。なんならバイト初日からお客さんに商品の場所を聞かれることが多かったです。


最初は辛かったアルバイトでしたが、閉店後に売場内を歩いてどこに何があるか確認、季節によって売れる物やTVで話題の商品を社員の人に聞いたり調べたりしているうちに接客が苦にならなくなりました。

お客さんに希望通りの商品を案内できた時に「ありがとう」と言われることがやりがいになるようになりました。

私は人見知りというより、「何を話したらいいのか分からない」ということが人と接することに苦手意識があったんだということに気付きました。


さて、少し長くなりましたが本題です。

診断を受けた当時、障害者手帳の発行を待ちつつ一般枠で就職活動をしていました。

改めて就活する上でどの業界にするかと考えた時、小売業界に挑戦したいと思いました。しかし、診断を受けた以上は障害のことは隠すわけにはいかないと思って履歴書の備考欄に記入したり、面接時にもお伝えしました。


現実は厳しく、書類選考が通らないことがほとんどでした。運良く面接まで行ったとしても障害の話をするとその場でお断りされることばかりでした。

まだ障害者手帳がなかったので証明できるものがなく、「そんな病気が本当にあるの?」なんて言われたこともあります。

一時的に就活を中断して、障害者手帳を取得後に障害者雇用の会社に絞った就職活動をすることにしました。


初めての障害者雇用での就職活動の進め方が分からなかったので、障害者雇用専門の求人サイトのエージェントサービスを利用してみることにしました。

現在正社員として働けているのはエージェントサービスを利用したおかげです。

通常の求人サイトのように自分で応募することもできるのですが、就活アドバイザーの方と面談をして私の状況を理解してもらいました。

その上で障害と適性に合った求人を紹介してもらいました。履歴書の添削や面接の練習をしてもらったり、企業とのやりとりもしてもらいました。おかげで面接時の障害に関する話もスムーズに進みました。


就活した期間は2〜3ヶ月くらいだったと思います。

自分の障害の事を理解した方にフォローしてもらった上での就職活動はとても安心感がありました。

これから障害者雇用で就職活動を検討されている方にはお勧めしたいサービスだと思いました。


長々と書いてしまいました。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


次回のテーマは考えてきます。

それではまた。

網膜色素変性症との出会い

私はこの「網膜色素変性症」の診断を受けて約10年になります。

医師から説明を受けた後の感情は「ショック」というより「スッキリ!」という

感覚だったのを今も覚えています。

自分の目の見え方にずっと前から疑問に感じることがあったからです。

 

小学生の頃にはこんなことがありました。

・夕方になると目の前に人や物があっても気づかない

・林間学校の星座観察で自分だけ星が一つも見えない

高校~大学時代では

・日中にも関わらず、陸上部の練習中にサッカーゴールに顔面をぶつける

(サッカー部が片づけをして近づいてくるのに気が付かなかった)

・友人と夏祭りに行くとほぼ毎回はぐれる

 

家族に相談しましたが、当時からTVゲームが好きでよく遊んでいました。

「ゲームのやりすぎ」ということで精密検査を受けていませんでした。

私自身もそれで納得している部分もありました。

眼科には毎年通っていましたが視力検査しかしていなかったので、

特に医師にも相談しないまま時が過ぎました。

 

再び違和感を感じたのは自動車免許を取ってからのことです。

家族で親戚宅へ向かうため高速道路を父と姉、そして私の3人で交代しながら

運転していた時のことです。

高速道路のトンネルを入った瞬間、目の前が急に暗くなりました。

逆にトンネルを出たときは眩しさで目がくらみました。

危ないと感じた私は免許を取って数回で運転をすることに恐怖を感じました。

 

次に違和感を感じたのは仕事での出来事です。

介護用品の営業をしていた時、先輩と利用者のお宅に向かった時でした。

到着してすぐ玄関を入った瞬間、目の前が暗くなりました。

仕事が終わった後、先輩に「暗い中よく歩けましたね。」と話しました。

すると、「え?どこが暗かったの?」と不思議がられてしまいました。

正社員登用ありの契約社員として勤務していましたが、

この話が営業所から本社に伝わって安全面に懸念があるとして

契約を急遽終了することになってしまいました。

 

これがきっかけとなり「やっぱり他の人と何か違う」ことに気付き、

かかりつけの眼科でこれまでの違和感を相談しました。

大学病院を紹介され、すぐに精密検査を受けることになりました。

そして下された診断が「網膜色素変性症」。

 

そして冒頭のように落ち込むことはなく、

すべての疑問が解決したスッキリした感覚でした。

当時はそんな楽観的な気分でいました。

しかし、診断後から現在に至るまでの出来事を振り返ると、

決して楽観的に考えてはいけなかったなと思います。

 

次回は「私の就活体験談」について書きたいと思います。

それではまた。